おじさんの小さな日常 6月分
 

 
   

                          

              
 


 

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                    空はどこまでも夏です   6/30

       
 

 

 それほど夏が恋しく思わなくなりました。とても残念な気がします。

 大げさに言えば、胸をかきむしるような期待を、夏という季節にもっていたころが恋しいのです。

 そう、ほんとにそのただただ夏というシーズンに、とんでもなく大きな期待を寄せていたぼくは、いつも、夏にはきっとなにかいいことがあると思っていました。

 10代後半・20代後半・30代になっても、ぼくはまだ夏に期待をしていました。夏になれば 、絶対に、きっとなにかいいことがあるに違いないと思っていました。秋や冬には期待できないなにかが、夏にはあるはずなのですから。

 当時の、いま以上に精神が不安定な時期であっても、ぼくは夏になれば元気になれると信じていたのです。じっさい元気になりましたよ。あのね、夏はね、それなりにぼくの期待を受け止めてくれました。

 40代、そして50代、ぼくはけっして夏を嫌いになったのではないのですよ。ただね、ただ夏が、ぼくをほんの少し遠ざけるような気がしているのです。

 たぶん夏は、ぼくを疑い始めたのです。つまりぼくは、夏に対してあまりいいぼくではなくなっていたようです。精神が社会に少しずつ溶け込み始めたぼくは、夏に純粋ではなくなっていました。少し複雑です。

 ぼくが少年と呼ばれたころ、夏の海は 、たとえいくら汚れていてもぼくのなかでは輝いていました。かすかな潮のにおいが感じられるだけで、ぼくは早足になりそして駆け出していたのです。

 イロイロなことに妥協しました。イロイロなことに後悔を持ち始めました。そしてイロイロなことを・・・

 ひょっとしたら、ほんとはもっとも大切なことを、ぼくは捨て始めたようです。

 すこしばかり反省です。いえね、あらためて「大きな力と闘うんだ!」などとこぶしを振り上げるわけではありませんよ。ただもうすこし、ぼくは尖がっていたいのです。そう思いはじめました。

 どこかで尖がっていなければ、ぼくは無力感に押しつぶされそうです。思いはいつも子供でいたいのです。潮のにおいに駆け出したいのです。

 もうすぐ夏です。

 

 

                      

 

                           携帯メールはたいへん   6/09               

 
   

 ぼくはけっこう新しいもの好きです。携帯電話を もそうでした。まだ料金がとんでもなく高いころから、「仕事で必要だから」などと言い訳をして使い始めました。

 もっとも使い始めると、その便利さやいわゆる営業上の効果はすばらしく、言い訳もそれなりに当を得ていたようです。「やはり文明の利器はね、先行使用するところに意義があるのですね。ガハハハ」などと、カミさん相手に鼻をふくらませていましたっけ。

 そんな携帯電話も、人々みんなに受け入れられるのにそれほどの時間を必要としませんでしたね。料金が安くなったこと、あるいは電話機が小さくスマートになり持ち運びが楽になったことなどが大きな要因でしょう。

 もちろん意思伝達が容易にできるという基本が一番でしょう。それにしても、街の公衆電話は姿を消し、タバコ屋のピンク電話などもめったにお目にかかりませんね。ぼくたちは意識しないうちに、近現代の科学者や社会学者が予言した、あらたな道具を身につけたのでしょうか。

 ただね、ぼくはこの急激な広がりにはもっと大きな理由が他にあるような気がしています。ちかごろはあまり問題になっていないけど、地域や社会や集団から外れた人々の疎外感は、その延長に起こるモロモロの社会現象を通じて、けっこう20世紀末の時点では大きな問題であったはずです。

 携帯電話によるコミュニケーション手段は、そうした心に隙間を持つ人々に、医師の、あるいは調剤された薬の、何倍もの効用を生み出したのかもしれませんね。もっともいいこともあれば悪いこともあるのが世の常です。やはりそこにはモロモロの問題も生まれてきていますがね。

 さてと、どんなに料金が安くなったといってもそこは限度があるんでね、ぼくらの学生のころのように何時間も10円で話せることはできません。そんなんでカミさんと娘たちは、通常は携帯電話でメールのやり取りをしています。安いから。

 これがいけません。ぼくはけっこう指が太いので小さなボタンを選択して押すことがヤッカイなんです。あれさぁ、もうすこし何とかなんないかなぁ。

 だからぼくは携帯でのメール使用は無しです。だからぼくはね、悲しくもいま疎外感でイッパイなのです。みんなから。家族から仲間はずれなのです。かわいそうなのです。

 突然ですが、ぼくはこの暑さにもかかわらず、うすでのコートを着て毎日散歩をしています。さすがにコートは暑いね。イッパイ汗をかきます。プチメタボ(こんな言葉があるかどうかわかりません。いままでまだおおやけに表記されてない、あるいは聞いたことがないようであれば、ぼくの造語として登録をしたい。それでもって・・・)の方々にはお勧めです。とにかく汗は健康的なのです。

 完メタボ(こんな言葉・・・いい加減にしろ!といわれそうなのでヤメマス)の、とにかく完全なメタボリック症候群の方々は、熱中症になったり水分不足で倒れたりするといけないのでオススメシマセン。

 基本的に心がうんと優しく、しかも鳥や犬や野に咲く花とある程度意思のやりとりができると信じているぼくは、いつも彼らの立場にたとうと思っているのです。

 であるので、特に犬族は、年がら年中厚手の毛皮のコートをきているのであるからして、少しでも彼らに近づき、そんでもって苦しみを分かちあうといった。それこそイエスキリストかマホメットか釈尊か勝ちゃんかと言われるぐらいの正しい社会人なのです。

 道行く人々は「アホやなぁ」と思っているようです。なかには危ない人と思っている方もおられるようです。でもぼくは、基本的にはアホなので気になりません。それに少し危ない人でもあるのでやはり気にならないのです。

 家族なんかは、それこそおもいっきり口に出して「バカじゃないの、みっともないからやめてよ、ウンコみたい」とか言います。なんでウンコかは、詳しく説明するにはたいへん分量の字句を必要とするのでやめます。

 とにかくそれでもぼくは基本的にバカなので平気です。エヘラエヘラ笑って出かけます。

 ただケンタクンが、すこし辛そうなのが気になります。

 

 

                      

 

 

                        すこしばかり陽だまりに身を寄せて  6/03

 
 

 

ほんの少しの時間、ぼくは陽だまりに安らぎを求めました。

 すこしばかり風が強くて、すこしばかり雲の流れが早く、足早に通りすぎる街の人々は、やはりすこしばかりキツイ顔をしています。すこしばかり気分が落ち込んでいたぼくは、昼下がりの公園で陽だまりをさがし たのです。

 とても唐突ですがね、陽だまりの公園は鉄工所のにおいが充満していましたよ。

 そんなに贅沢は求めません。ただほんの少し、そう陽だまりが欲しかったのです。少しばかり気分が落ち込んでいるとき、そんなときはいつも陽だまりが欲しいのです。あたたかい陽だまりがね。

 ただね、ぼくのやすらぎにはきまりがあるんでね、やすらぎの条件といってもいいね。もちろんぼくだけの条件ですよ。 ぜったい必要な条件、それは毛むくじゃらの背中と一緒ということです。あのね、茶色の毛の向こうに見える水玉は、とても心を落ち着かせてくれるんです。

 ぼくは毛むくじゃらな背中をなでながら、その縁がすこしばかり金色に輝く水玉を、いつまでも眺めています。手の動きにあわせて、光りかがやく水玉の飛び跳ねる様をね。

 そうそう、そんな光り輝く水玉と毛むくじゃらな背中をわかる人は、たぶん限られる人でしょうね。いえなにも特別な人という意味ではありませんよ。

 ただ経験という知がね、人の感性にいろどりを添えるとすれば、すこしばかり特異な経験をしたぼくの感性は・・・特別です。その意味の特別でね。

 さてさてそんなきょうの陽だまりは、なんとも快適でした。少しばかりの風はさわやかで、人々の会話も耳に届かず、雑草を刈りとったばかり公園は、鉄工所と原っぱと土管のにおいでイッパイ だったからです。

 少しばかりと思っていた時間ですが、あっという間に半時を経過していました。

 いろいろなことを考えず、モロモロの ことを気にせず、水玉の向こうに見え隠れした映像に浸っていました。ニコニコしてね。説明は不要だな、どんなに言葉を尽くしても説明できないことはあります。どんなに努力しようとできない事があるようにね。

 半時は贅沢だったかな。帰り道、本日はじめてすこし考えました。

 ここ数年、ぼくはたいてい陽だまりが必要だったのです。日常的に必要でした。ぼくの偏り脳みそ広場には、いつも北風がゴーゴーと吹き荒れていたからです。もっとも北風はぼくが自分で呼んでいたようです。

 それでも小さな心臓は逃げ場を探します。陽だまりをね。そんなにたいした望みではありませんよね。その程度のお願いはけっして贅沢ではないはずですから。

 相棒はいつもよりやさしく、そっとぼくの横でお座りをしていま した。背中に手を乗せ季節はずれの抜け毛を気にしながら、ぼくは彼をさすりました。

 きょうもありがとう。