おじさんの小さな日常 5月分
 

 
   

                          

              
 



日本経済新聞掲載の保険比較サイト「保険モール」

イーバンクマネーカード

住宅ローン、自動車ローン、教育ローンなど生活に関わる様々なローンを比較検討が可能!

【投資信託を始める方へ】申込金額に応じて申込手数料の10%〜50%キャッシュバック 新生銀行

安心な海外生活【旅工房ステージ】

定期預金でプレゼント

 

  

                        強い風です。気分も飛びます。  5/27

 
 

 

 なんだかまいにち風が強いですね。でね、 強い風はぼくの気分を少しばかりワサワサさせます。あっ、ちがうな、すこしばかりワサワサさせた時期がありました。

 いまでも思い出すのです。じつはちょっと前まで、風が強いと少しばかりの心配ごとがぼくにはあ ったのです。そんなんでねワサワサしたのですよ。

 そんな風の強い日、特に夜中に強く風がふいている日は、なんだかとにかく安心できない!眠れない!音が気になる!といった。おじさんの小さなバンビ心臓にはかなりの負担となる日々が 続いたものです。

 ホントに眠れない日がありましたよ。

 あのね、じつは我が家の鉛筆の先のような屋根のてっぺんにはね、けっこう大きなタワーが乗っかっていたのです。でね、それが風の強い日は、右往左往するのです・・・ちょっと表現がおかしいですか?

 そうかそうか、タワーは動物ではありませんね。だから右往左往はおかしいみたいだけど、とにかく気分は右往左往でね、そのとんでもないバカデカでウスラ高いタワーが 、それこそ隣の家の屋根にでも倒れたら、いやいや前面道路側に倒れ落ちたらなんて、とにかくけっこう大きな心配だったのです。

 ぼくはね、30代後半までアマチュア無線を楽しんでいました。でね、携帯電話がいまの我が大日本帝国を蔽い尽くしはじめたころ、その運用をやめたのです。理由はいくつかあ ります。でもそれはとりたてて重要なことではなく、ただ楽しみが消えたということでしょうかね。

 もちろんぼくの中での楽しみです。

 当時のぼくは、時々ですが、早朝や深夜に「CQ CQ」などとマイクにほざいていました。日本各地、それから世界に向けてね(あっ、ちょっと大げさです) 。

 ぼくの声を電波に乗せ、不特定多数の傍受者に届け ることがなんだかとても楽しく、ふだんなら大いなる人見知りのぼくなのに、電波のうえでは別人でした。でね、当時、なんだかヘンチョコリンな評論家の定義にのっかり、ぼくを「オタク」と決め付けた知り合いもいましたが、いまは地上から消えました・・・

 タワーはね、電波をより遠くより広範囲に送るためのものです。だから高くすればするほど(正確には直接波の場合)遠くまで届けることができるのです。そんなんで、うんと遠くへ電波を飛ばしたかったぼくのタワーは、基礎部分から上を2段にしたかなりあぶない代物でした。

 心配ごとは精神をいためます。それでなくても精神が少し病んでいたぼくは、すこしでもそこへの負担を減らすべく、泣く泣くタワーを下ろしたのですよ。おかげで今は、やはり少し病んでいますが。なんとか社会生活を続けることができる状態となっているのであります。はい。

 今日、散歩の途中、赤い風船を追いかけました。小さな子供が離してしまったのです。風で流された風船を指差し、子供が泣いています。もう一人の子供の手を持つ母親は、諦め顔で諭していました。

 ぼくはなんだかかわいそうで、ケンタクンと一緒に、一生懸命追いかけ・追いかけ・追いかけ・追いかけ・追いかけ・・・やっとこ捕まえました。ふう。

 風船に足をかけて遊びたがっているケンタクンを諭し、子供に返したやろうと広場に戻りかけ・・・

 ぼくの目に入ってきたのは、母親と子供たちがそそくさと軽自動車に乗りこむところでした。ぼくらが追いかけるのを見ていたはずなのですがね。あんまりにも捕まえるのに時間がかかったからでしょうね。きっと。きっと。

 ぼくは期待で目を輝かせているケンタクンに、赤い風船をにあげました。風船はすこしばかりケンタクンの足元で遊んでいました。けどあっという間に、今度は空に舞い上がりました。そして飛んでいきました。

 ぼくの頭の端っこのほうで、遠い昔におぼえた赤い風船の曲「遠い世界に」が、流れています。

  遠い世界に 旅に出ようか 

  それとも赤い風船に乗って

  雲の上を 歩いてみようか

  太陽の光で 虹を作った

  お空の風を もらって帰って

  暗い霧を 吹き飛ばしたい

               作曲作詞 西岡たかし

     

 

               

 

                        小さな山でホホホと言う     5/20

          
 

 なかなか世の中平穏にはいかないようです。

 ここ数日、なんともおぞましい事件や暴力的な事件が続くので、おじさんも少し真剣に考えました。散歩しながらですけどね。いけませんかぁ。ぼくが考えるのはいつも散歩の途中なのですから。それが何か?

 イカンイカン。なんとも挑発的だな。おじさんがときどき挑発的になるのは、それもこれもあれもこれも、昨今の社会情勢がイケナイノデス。そしてそんな社会のどぎつい部分だけを、金儲けのために誇張して伝えるウンコメディアのせいなのです。

 とにかくおじさんの、優しいバンビのような心臓では、それら事件の衝撃が大きすぎて、精神の動揺が・・・え、ナニッ、オマエハいつも精神が動揺してるじゃないかって・・・それは正しい。

 とにかく、ちょっとばかし我が大日本帝国も、なんだか少しおかしな方向に変化しつつあるのが、おじさんのような偏向脳みそ偏向精神にも、かたちになって見え始めているのであります。これはつまり、いわゆる社会の変化が精神に及ぼすところの重大問題なのであります。

 さてある意味、もちろんウンコメディアのウンコ報道もたいへんイケナイことなのですが、それよりも、昨今急速に社会の底の基本的な部分がウンコになっていることも事実です。だからメディア批判も適当にして おいて、自分たちの情報アンテナをね、うんとレベルアップして、報道のウラに潜む真実を見極める、そんな努力をする方が得策かもしれません

 あのね、ぼくの散歩思考では、いまの日本は、ひょっとすると「古きよき日本」と本格的にオサラバする 。あるいはみんなでガンバッテ「古きよき日本」のよい部分を取り戻すといった、アッチとコッチの境目にあるお山のてっぺんにいるのではないかと本格的に心配しているのです。

 いえいえじっさいのところはそう決めつけています。まぁ、そこいらはおじさんの散歩思考ですから、別に決めつけてもいいのです。

 そんな無理やり決めつけ思考が、散歩途中の近所にある公園のお山のてっぺんに上がり、下界を指差しながらヨシヨシなどと言っていたら、急速に偏向脳みそのアチコチで飛びかいました。でね、そこいらの 、つまりイケナイ社会の根本原因は、やはり教育と決めつけました。でもここでいう教育は学校のお勉強のそれとは違うんです。

 話は突然いつものように変化・転向・真逆・逆転・東西・南北と変わりますが、お山のてっぺんは気持ちいいですよ。ときどきこの衛星センター横の公園にあるお山に、ぼくはケンタクンと駆け上ります。小さな子供がいる場合は遠慮しますが、もうそろそろ遠慮という字を頭の中で理解できる子供たちには遠慮しません。

 ケンタクンは、そこいらにいる遠慮という字をあまり理解ししようとしない小学高学年から中学生連中に、とんでもなくキツイ犬眼を飛ばしながら、時々うなったりしながら、後ろ足でドロをはね飛ばしながら、オシッコをかけながら、わざとぶつかりながら蹴散らします。

 連中はそこで始めて、蹴散らされて始めて、オシッコをかけられて初めて世の不条理を実感します。おじさんは別ですがケンタクンは強いものにはそれほど強くなく、弱いものにはたいそう強いのです。ただし犬なのですが限度は心得ています。ぼくよりカシコイのです。

 女の人や小さな子供、あるいはお年寄りといった、見かけも実際もか弱い方々には唸ったり噛んだりしません。なかには口先で分けわかんない文句を言う太った中年女性もいます、憎たらしい年寄りもいます、生意気なガキもいます、石をなげる女子校生もいます・・・それでもケンタクンはじっと我慢をしてぼくを見上げるのです。

 ぼくはキチンと彼を教育しているので、弱いものには手を差し伸べよと、石投げ女子高生にはオシッコをかけるだけにしろと、とんでもなく生意気なクソガキには、怪我しない程度に噛めと教えているのです。怪我しない程度にです。

 またウスラ笑いしながら、たぶんケンタクンにだろうけど「おじさん触ってもいい」などと言って近寄ってくる石投げないウスラ女子高生には「エエッ、おじさんにかい」などと優しくウスラ笑いしながら答え ます。すると、なぜだかわかりませんが、みんなして「キャア」とかいいながら逃げていきます。

 さてと、きょうもケンタクンとお山のてっぺんに上がりました。ケンタクンはひととおり下界を睥睨(へいげいと読む)し、ホッホッホッホッと奇妙な声を出してぼくを見上げます。ぼくも小さな声でホホホと答えました。風がとってもサワヤカです。

 

     

 

               

 

           あるおだやかな一日と仮面  5/14

 
 

 

 天気予報だとその日はあさから うんと暑くなり、昼には真夏日になるとの予想でした。たしか真夏日って30度を超しますよね。いやはやぼくにとっては、なんとも期待ができる一日です。なにしろぼくは、かっと照る太陽の下で、おもいっきり身体を動かすことが 、とにかく大好きなのですからね。

 朝早く、そういつもより少し早く起きました。千葉の中央部まで出かけるのです。早朝5時に家を出るため4時の起床。混むのが嫌なのです。もっとも向かう場所によってはね、もっと早く出ることもありますよ。

 さて当日は、一般道から外郭環状線へのルートをとりました。和光インターから入り、少し走ってすぐに首都高速へ。しかししかし 、朝早くからの暑さや、真夏日や、ギラギラ太陽はどこへ行ったのでしょう。あのね、真夏日の前兆どころか、日の出を拝むこともできず、だいたい青空がありません!

 つまり天気予報とはずいぶんと違う空模様が、目の前を覆っているのですね。ぼくは舌打ちをし「ッタクーもうー、少しはなぁ、キチンと予想しろよ!」などと毒づきました 。

 普段はうんと優しく、そんでもって寛容の精神にあふれ、さらには人類皆兄弟と思っているぼくですが、運転しているときは別なんです。マナー違反の運転手、どぎつい化粧の若い女、笠をさしながら自転車を運転しているオヤジ、ゴミを遠慮なく突いている悪徳黒カラスなどには、うんとキツイ言葉を・・・車の中で声が外に漏れない程度に毒づくのです。声が漏れないように・・・

 さてと、窓の外は真夏日にはほど遠く、おまけに空模様なんぞは霧が出る始末です。おじさんもナメラレタもんです。たいした霧ではないのだけど、とにかく霧 には違いなく遠くはぼやけます。それでも早朝の首都高5号はとても偉く、とにかく車を順調にながしてくれました。だから箱崎あたりまではほとんどノンストップでの走行。 エライエライ。

  喜怒哀楽が激しく、誘惑されやすく、押し売りを断れないおじさんは、ただ順調に車が流れているということだけで嬉しくなり「高速道路はこうでなければイケナイネ、エライネ」などと、急に精神が穏やかになり、真夏日も霧もどうでもよく、すっかり顔も優しくなってしまいました。

 江戸橋を過ぎ、箱崎から小松川方面にルートを取り首都高7号線へ、このまま走れば、あとはまっすぐ京葉道路 を走るだけ、武石インターを出るまでにさほど時間を必要としませんでした。少し時間の余裕を持っての5時出発でしたが、やはり目的地には早めの到着です。

 きょうの仕事は建築現場での作業です。その新築住宅での作業は、近隣の方々に特に注意が必要とのことを、事前に請け負いもとから聞いていました。であるので6時過ぎの到着はやはりまずく、しばらく近くの公園で待機です。

 ぼくはね、最近は外仕事の時に仮面をかぶります。いえ実際にかぶるわけではありませんよ、顔を意識して穏やかにニコニコさせるのです。とにかく知人に強く指摘された強面顔を、その努力で穏やか顔に変身させるのです。努力しているのです。

 さてと当日の持参本は『イラン 世界の弾薬庫』宮田律著 光文社新書です。公園での待機約1時間ですばやく読み終えましたね。あの自慢ですが、ぼくはたいへんな速読です。新書1冊程度であれば1時間もあれば十分です。すごいのです。

 ただし!内容をキチンと理解把握することに、それほどキチンとした考えを持っていなければという、キチンキチン反比例の法則というわけのわかんない前提があります。であるので「読後感想文を原稿用紙5枚にまとめよ」なんて言われると、あわてて読み直します。その際の読書時間は・・・

 典型的な偏り思考の持ち主と自負しているぼくは、本に書かれているイラン国家やその指導者のモロモロより、市井の民衆に思いがいきます。いつの時代も、どこの場所でも、指導者の選択で受ける災いは民衆に降りかかります。多様な世界観を許容することは、そんなに難しいことなのでしょうかね。

 そうそうこの本は5月20初版となっているので、ぼくも、あたしも、とにかく市井の民衆なので、いますぐそこいらのことがわかるその本を読みたいと思われた方は、あと数日待ってから本屋に行って下さい。

 さてと、そうこうしているうちに8時近くになりました。現場前に車を止め作業準備を始めていると

 「おたくさぁ、そこに車を置かないでくれない」と早速のクレームです。ぼくはいつもどおり「いま作業準備で停めているので、終わったらとっとと移動しますよ」とやさしく紳士的に、おだやかに対応です。

 しかしその目に暴力的なものを潜ませている(そう思っただけ)近所のおじさんは、

 「おたくらにはうんと迷惑を受けているわけ、だからうんと早くとっとと移動しろ」とうるさいのです。

 ぼくはしかたなく、仮面をはぎとり、上着を脱ぎ(ぬぐとすごいのです)日常のおじさんに戻りました。日常のおじさんはなんとも攻撃的な目で、そんでもって強面なのです。

 仮面を脱いだぼくを見た近所のおじさんは「とにかく早く移動しなさいと」とすばやく言って、すばやく立ち去りました。

 ぼくはゆっくりとまた仮面をかぶりゆっくりと準備を始めます。おだやかな一日が始まりました。

 

 

     

 

               

 

                          何でもかんでも・・・  5/07

 
 

 

 何でもかんでもね、くっつけりゃいいってもんじゃあないと思うよ。じっさいこのあいだから、あっちこっちのニュース番組で、ずいぶんと陳腐なくっつけがテレビで盛んに放送されていました。あれってさぁ、なんだかおかしくないかなぁ。

 あれっていってもわかんないよね。これまた失礼いたしやした・・・って植木さんみたいになっちゃった。話が少し外れるけど、植木さんが亡くなったのはちょっと残念です。ぼくの少年時代のあこがれだったからね。

 さてと、そのくっつけだけど、例の「速弁」がそれです。高速道路のサービスエリアで販売している弁当なので「速弁」だそうです。だいたいがさぁ、今半(人形町)もね、なんで高速道路なんかで弁当売らなきゃなんないの。そんなに経営がきびしいいの。

 それともなにかい、ひょっとして洋行帰りの跡取りが、いきなりカブレ(西洋かぶれ)て、そんでもってこれからは、やはり、多角経営の時代だから・・・なーんて大いなる勘違いをして、だから3000円以上もする「多角」・ちがった「高く」弁当をつくっちまったってこと。

 値段はね、そりゃ好き好きだし、とくに金持連中は惜しむこともないだろうからさ、正直どうでもいいんだね。ただね、その「速弁」という呼び方は、これどうにかなんないかなぁ。やはりこれは、昔っから聞き覚えていて、そんでもってちっとも違和感のない正しい名称である「駅弁」に、その原因があるんかなぁ。

 それでもぼくなんかにはね、ぼっと出の「速弁」なんかと、由緒正しい「駅弁」を一緒にしてほしくないね。「駅弁」にはね、ただ単に漢字をくっつけりゃいいといった、そういうチンケな考えはないのであります。

 なんつったってね、おじさんなんかは「駅弁」と聞いただけで、ただ一人駅弁を片手に持ち、北へ行く夜行列車にさびしく乗る、三十路前の、幸薄そうな美人を、とにかくすぐに思い浮かべてしまうのですから。そんでもってその美人が向かう北にはですよ、なんと、三十路女を東京に残し、家族のもとへ帰ってしまった、裏切りの50男がいるのです。大変なのです。

 とにかくね、「駅弁」にはドラマがあるのです。「速弁」なんかにゃありゃしません。それからさ、やはりちょっと前だったけど、空港で売っている弁当を、たしか「空弁」なんて言ってたよね、えとおじさんの許容もね、そこいらあたりまででいっぱいいっぱいでした。

 たとえばさぁ、あんまりきれいじゃなくて申し訳ないけど、都道府県の県庁舎で売っている弁当をね、「県弁」(けんべんと読む)なんて呼んだらさ、あんた売れるもんも売れないでしょ。けんべんだよ!におうよ!おかずにタラコだのウインナなどは絶対に入れられないよ。お茶なんかも絶対に一緒に売れないね。間違えるから・・・

 こうなりゃいくらだってでてくるよ。南紀紀州の観光地で売っている弁当を「軟便」間違えた「南弁」としたらさ、売れる?、あーーたねぇ怒るよ客は。近所に便所があるか探すよ。ユルクなっから・・・

 そうか!わかったぞ。たぶん、連休で便所がうんと混むのを見越して、高速道路便所管理委員会→略して「高道弁管」わけわかんねぇ・・・が、とにかくサービスエリアの便所利用者皆々様に、早く「大」の方を処理してもらい、とっとと次の人に順番が回るようにしてもらう。といった算段にちがいないのだ!ほんとは「速便」のためなのだ!

 クソッ、「高速弁管」も考えるなぁ。やるなぁ。

 このへんで止めとかないとキリがないので止めます。とにかくね、なんでもくっつけりゃいいっていう発想はやめましょう。あんましカッコよくないよ。

 最後になるけどね、連休前のこの手のニュースには、おじさんはどうしてもある種の誘導を感じます。それはおじさんがいつもいつも世間を斜めに見ているせいかもしれません。

 しかしねぇ、それでもやはり首を傾げます。値段なんかどうでもいいって言っちゃったけど、いったい何人の善良なる人々が、このとんでもなく高いお弁当を買わされたんでしょうね。