おじさんの小さな日常 2月分
 

      

 

          

               

                                     信号の女の子  2/17
        

           

  ときどき、なんだかとてもか気になる光景みることが、さいきん多くなりました。今日もそうです。たぶん登校の途中なのでしょうね、小さな身体に、うんと大きなランドセルが、やけに目立つ女の子でした。

 気になるといってもね、それはなんだか問題があって、困ることであって、注意しなければいけないことなのであって、意見をしなければいけない・・・なんてことではありません。まぁ、ちょっと言い方は適当ではないかもしれないけど、嬉しく気になる。楽しく気になる、元気に気になる・・・なんてなこともあるのです。オッサンにはね。

 東京の新宿から西方向に走る新青梅街道は、ときどき意味もなく混みます・・・そういう言い方はオカシイかなぁ。あのね、新青梅街道はね、ぼくにはとんと理由がわからない混み方を、ときどきするのです。 片側一車線のせいかもしれません。けどぼくの大好きな道路です。

 もちろんもっとちゃんとした理由があるのかもしれないな、今日もたぶん、オッサンのこの偏り脳味噌あたまがね、正常な、キチンとした、いわゆる正しい判断思考をさえぎっているのかもしれません。 まっ、ともかく、この日も、オッサンの理解できない混雑がありました。

 その渋滞のなかで。そう、それはぼくのあたまの中で、まるで映画の1シーンのように、パステルな淡い輝きをベースとした、すてきな光景が展開したのです。

 横断歩道を渡る女の子は、目を輝かせていました。

 横断歩道を渡る女の子はほっぺたを少し膨らませていました。、

 横断歩道を渡る女の子は、ほかの子供たちとは違う方向に向かっていました。

 横断歩道を渡る女の子は、たぶん同級生と思われる子たちに何かを言われ指差されています。

 横断歩道を渡る女の子は、彼らを無視し、さらにほっぺを膨らまします。

 横断歩道を渡る女の子は、ちいさな身体ぜんぶで、その気持ちをあらわしていました。

 真摯になどという言葉が、なんだかとても陳腐に揶揄される時代が続きます。ぼくはそんな時代に埋もれてしまうことを、かたくなに拒否し続けてきた一人です。

 ちょっとカッコよすぎかな、でもほんとです。ただしそれは、たんに一生懸命になるっていうことで、別に「清く正しく」なんてなこととはだいぶ違うのです。世間体だの、場の空気だの、風をよむといったたぐいの自分への言い訳が、ただ嫌いなだけです。

 さてさて、彼女はね、しっかりとした意思を持って歩を進めていましたよ。

 その彼女の胸には、ランドセルと同じぐらいの子犬が、嬉しそうにじっと見上げていました。