おじさんの日常  with ケンタクン

                                                                                             更新 10/06

 
     
    ■ 小さな日常集 (2001年〜2009年分)

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       小さな日常

         精霊達に    10/06
 

   

 

 

 

      

 

精霊達に・・・

 

 秋が実感できるさわやかな空気に、匂いに、その音楽に、ぼくらはもっとワクワクしなければいけない。寂しさのきっかけともいえる秋と、まるで正反対の秋がそこにあることを、意識して楽しもう。そう思い始めました。いまさらだけどね。

 

「秋というだけで俯くことはね、やめなければいけないね。そうじゃないと、つまんねぇや。」ぼくはこの時期、涙目で遠くを見つめ、時折「フォン」などと小さな声をだし、悲しい目で下を向いているケンタクンに、偉そうに説教をします。

 

玄関の扉を開け、秋に一歩踏み出せば、白・紫・ピンクと、背高ノッポのコスモスたちが、それぞれが、競うように咲き乱れています。なんとも贅沢な景色です。

 

そんな贅沢な景色もね、うっかりして視線を左右にずらせば、残念なことに景色は人工物だけが、まるであたりまえのように連なっています。だから一方向とはいえ、いっぱいのコスモスが咲き乱れる場所があるだけで、そこは天国、ありがたいと思わなければいけません。

 

人工物がいっぱいの景色、そんな街が普通で、自然で、あたりまえであることに、ぼくはときどき反発を覚えます。疑問を感じます。ほんとうはさ、草花がイッパイ、木々の緑がイッパイ、原色に囲まれた風景がイッパイ、でもってそれがあたりまえで、それが普通で、灰色の人工物なんかは、その中にポツンポツンとあるべきなんだ・・・

 

たぶんそんな独り言が、そこいらが、キチンとした大人達から「キミはいつまでも青臭いね」といわれる所以なのでしょう。でも精神がガキで青臭いぼくはこう思います。キチンした大人達は、ほんとうはぼくとおなじ思いを持っていて、けどその反発や疑問を、意識の外で、どこかに封じ込めてしまっている。ってね。

 

ほとんどの街の造型物は、人の手に成るものばかりです。道路・電信柱・家々・ビル、残念なことにそんな街模様から、ぼくたちは一時も逃れる術をしりません。逃れることが重要なことを・大事なことを・・・意識することさえできないようです。考え過ぎでしょうか。でもなぜなんでしょう。大問題だな。

 

「だったらさぁ、田舎にとっとと行きゃあいいじゃないか」そんなこえが聞こえてきそうです。しごくごもっとも。でもね、ちょっと考えると、ちょっとガキのたわごとに耳をかたむけていただけると、そこいらのガキの真意が、あるいは見え隠れしているガキのピュアな響きが、少しおわかりいただけるかもしれませんよ。

 

ガキの代表でもあるぼくは、秋の始まりのいまどき、すべての秋を意識して感じます。楽しみます。幸いにも、我が家から歩いて37秒のところにある、大きく、ある程度の広さを持つ雑木林は、意識の結界をぼくに与えてくれます。もちろん聖なる領域がどちら側あるかは、ひとそれぞれです。決め付けることは無意味でしょう。

 

ぼく自身に限れば、結界の俗なる領域は自身が棲む街です。聖なる領域はわが心なのです。そして意識の根底に住まう雑念を追い払うため、積み重ねられた無意味な常識に逆らうため、さらに自然がなんなるかを意識するため、気づくため、そのために雑木林に逃げ込みます。助けを求めるのです。

 

そんな自分勝手な理由でもね、存在そのものが聖であるそこは、雑木林は、優しくぼくを許し、全身で抱え込んでくれます。毎日のようにね。なにしろ雑木林の中に入れば、冬の一時期を除いて、そこは人工物がまるで見えない場所なのです。ぼくは結界を越えるべく、意識して反対側へ行くために、そんな舞台を利用します。

 

木々に囲まれ、ワクワクしながら集中すれば、いろんなものが出現しますよ。木々のあいだから誰かがぼくを見ていたり(これを普通のキチンとした大人は気のせいといいます)、ビックリするぐらい大きなクモがぼくに笑いかけたり、首筋がザワザワと感じるほどの精霊たちをね。

 

人々は社会という造型を、当たり前のように規定しています。そう感じてなりません。当たり前が、その基準が、いかなる要素で成されるかを考えることは、それほど大それたことではないように思います。

 

オッサンへのダイレクトなご感想は以下に

bingo009@gmail.com 

 

   

 

 

 

 

    

                    世の中忙しいな

   
 
  世の中はあいかわず騒々しい。しかしオッサンとケンタクン(犬)の日常はそれほどでもない。そこでオッサン考えた。「ここはひとつキチンと考え、そして行動せねばなるまい」と。

 よし日々(たぶん日々、いや週3本ぐらい、すくなくても毎週更新) のいろいろを発表し、ネットのうえではあるが、北に迷える人あれば相談にのり(時間の許す範囲で)、南に悲しむものあれば笑いを届ける。東に賢者あれば知恵を借り、西にたたずむものあればそっと手をさしのべる。 届かない 、いやはや、じっと手を見る。

 とにかくオッサンは、本来心優しく、涙もろく、昇る朝日には手をたたいて挨拶をし、沈むそれには手を振って別れを惜しんでしまう。そんな性格なのです。

 一生懸命生が信条で、他の人に迷惑をかけない範囲で好き勝手に生きています。涙と笑い、それからたまに、ちょっと胸をつつかれるような出来事をお話ししましょう。不定期ですが出来るだけこまめに更新します、楽しんでください 。    
 

    Copyright(C) Fukatu Masaru 2001-2009    深津 勝

   

 

 

 

 

 

 

 

 

  

        ← おじさんはインターネット博覧会「インパク」に出店していました。  「おじさんの日常」